江戸時代、庶民の間には霊場崇拝の風習が盛んになりました。坂東三十三観音もその一つで、埼玉県岩槻市の古刹慈恩寺は、12番札所として関東各地から参詣人を集めていました。 このあたりは、むかし御番所町といわれたところで、この先にある江戸川河川敷には、小岩市川の関所がありました。 この道標は佐倉道と元佐倉道の合流点にあって、対岸の市川から江戸川を渡って小岩市川の関所を通ると道筋のほぼ正面に見えたと思われます。
 銘文は安永4年(1775)に建てられたものです。岩附・江戸・市川の三方向を示しています。

正面 右せんじゅ岩附志おんじ道 左リ江戸本所ミち
右面 左リ市かわミち 小岩御番所町世話人忠兵衛
左面 右いち川みち 安永四乙未年八月吉日 北八丁堀 石工かつさや加右衛門

平成15年2月 江戸川区教育委員会  

御番所町跡説明

 ここjは旧伊予田村に属し、佐倉道と元佐倉道の合流するところで、南北に走る岩槻道にも接する交通の要衝でした。小岩市川の渡しが定船場となり、御番所(関所)が置かれたことから御番所と称したと思われます。江戸時代後期の地誌 「新編武蔵風土記稿」 の伊予田村の項にも、関所は 「江戸川の傍にあり、ここを御番所町とも云、対岸は下総国葛飾郡市川村なれば、小岩市川の御番所と云」 と書かれています。
 御番所町は 「徳川実記」 延宝2年(1674)の記事にある佐倉道(元佐倉道)の小岩の駅(宿場)に当たるものと考えらえます。
 かつては旅籠屋を兼ねた小料理屋をはじめ、鮨屋、あめ屋、豆腐屋、ぬか屋、掛茶屋などが並んでいたと伝えられます。街道の江戸川に突きあたる付近が関所跡で、関所から来ると正面左に 「御番所町の慈恩寺道石造道標」 が望めました。今も原位置にあり、道路の様子も旧状をとどめています。そのほかにも、江戸川畔にあった常燈明(宝林寺内)や、関所役人中根家の墓(本蔵寺墓地)など、ゆかりある旧跡がよく残っています。
江戸川区

安永4年(1775)の慈恩寺道道標