当寺は、元和8年(1622)浅草新寺町に起立され、京都妙顕寺開基龍華樹院日像菩薩の 「像」 の一字をもって大雄山本像寺と称し、妙顕寺の末でした。延享2年(1745)の同寺
「略縁起」 は、加賀中納言前田利光の母寿福院尼が一寺を草創したのがはじまりと伝えています。明治43年に下総真間弘法寺末の晴立寺と合併し、晴立山本蔵寺となり、晴立寺のあった現在地に移転しました。
晴立寺は、小岩市川関所役人を代々つとめた中根氏の館あとといわれ、菩提寺と伝えられています。現墓地には、中根平左衛門家の代々合葬墓があります。
木造日朗・日像聖人坐像(江戸川区指定有形文化財)
日朗は宗祖日蓮の高弟で、日蓮宗池上門流の祖として知られています。寛元3年(1245)下総国平賀(千葉県松戸)に生まれ、日蓮聖人佐渡配流中も鎌倉にあって教えを広め、池上に法華堂(現本門寺)をはじめとする諸寺を創建し、元応2年(1320)入寂、76歳でした。
日像は日朗の末弟で、文永6年(1269)下総国平賀に生まれ、7歳で身延山にて日蓮聖人に給仕しました。聖人滅後は、兄の日朗に師事し、のちに日蓮聖人の遺志をたいし、京都で法華経をひろめ、妙顕寺を拠点とする京都日蓮宗の基礎を築いたといわれています。享年74歳でした。
この両聖人の坐像は京都妙顕寺の旧蔵品であり、天保6年(1835)に妙顕寺より下賜されたものと伝えられています。寛永19年(1642)に彩色補修が加えられ、妙顕寺13世日饒、14世日豊の署名と花押も残ています。製作年代は室町時代と考えられる秀作で、両像とも35㎝の小さな坐像ですが、写実性に富み、高僧の面影がよく偲ばれます。
平成12年9月 江戸川区教育委員会
本蔵寺本堂
山門前の南無妙法蓮華経題目塔
本堂に掛かる晴立山の扁額
本蔵寺由緒