一里塚とは、江戸時代の街道付属施設の一つで、江戸日本橋を起点に一里(約4㎞)毎に、道の両側に築造され、榎を植えるのが定型になっていました。
小岩の一里塚は、総武線のガードの南側で千葉街道沿い、岩槻街道との分岐点にありました。昔は小高い丘になっていて、須賀神社の小祠もあって、昔日の一里塚の名残りをとどめていました。
「葛西誌」 には、「此辺の一里塚も慶長年中(1596-1614)、本多佐太夫、永田弥右衛門、太田勝兵衛等が奉公して築きしなるべし」 と記されている。
昭和39年6月頃、須賀神社は北野神社(北小岩3-23-3)に合祀され、一里塚のあとには民家が建ち、全くその姿を失いました。今では、バスの停留所にその名をとどめています。
平成17年3月改訂 江戸川区教育委員会
小岩の一里塚説明
JR総武線高架の手前歩道脇に説明板が建っている