江戸時代のはじめ、両国から竪川の北岸を東にすすみ、逆井の渡しで中川(旧中川)をわたり、小岩で現在の江戸川をわたって房総へむかう道がひらかれました。逆井の渡しから小岩に至る道筋は、船橋以東の東金街道の整備が慶長末年あたりとすれば、その前後あるいは両国橋が架けられた万治2年(1659)あたりまでのほぼ50年間に順次整備されたと考えられます。「水戸佐倉道分間延絵図」 には、「元佐倉通り逆井道、江戸両国橋え道法三里」 と記されています。「新編武蔵風土記稿」 には、「元佐倉道とて本所竪川通り亀戸逆井渡しを渉り、小松川村小名四ツ又と云処より両路に別れ、左して下総国市川村に達す」 とあり、一般には 「元佐倉道」 とよばれ、明治8年(1875)に千葉街道と改称されました。ことに江戸川区中央の八蔵橋以東は、明治初年に道幅をひろげています。荒川放水路・中川放水路(荒川・中川)の開削によって、行徳道と交差する四ツ又(四股)とよばれたところが失われましたが、ここのあった道標(移設現存)には 「両国・市川道」 と刻まれています。大正9年(1920)に国道7号となり、大正11年には小松川橋が架けられ、八蔵橋以西は経路が変わりました。昭和27年(1952)に国道14号に改められ、八蔵橋以西は旧千葉街道とよばれています。
江戸川区

マンション群の間をぬける元佐倉道

小松川ゆきやなぎ公園

元佐倉道(旧千葉街道)説明