逆井の渡しは、江戸時代から明治時代初期まで中川にあった渡しで、亀戸村と西小松川村(江戸川区)を結んでいました。もとは逆井村(西小松川村の北隣り)と亀戸村を結んでいたため、逆井の渡しと称されました。この場所は、万治2年(1659)に開削された竪川の北岸沿いに通る佐倉道と中川の合流点であり、江戸と下総方面をつなぐ交通の要衝でした。川幅は40間(約73m)ほどで、船は二艘が備えられ、一艘は亀戸村、一艘は西小松川村持ちでした。
 開設時期の詳細は不明ですが、延宝8年(1680)の 「江戸方角安見図」 には、「総州さくら海道」(佐倉道)と中川�が結節する地点に、「小松川舟わたし」 の記載が見られ、この頃には渡船が運航していたことがわかります。また、明治時代の記録には、竪川の開削に携わった徳島屋兵右衛門らが寛文年間(1661-73)に渡船場を開設したとも記されています。
 渡船場周辺の様子は、嘉永3年(1850)の 「絵本江戸土産」 などによると、のどかな田園風景が広がる緑豊かな景観が風流人たちに好まれ、川を渡る人は船上からの眺めを楽しんでいたことがうかがわれます。
 渡船は明治以降も続き、「東京府統計表」 によると明治10年(1877)頃の渡し賃は人が銭一厘五毛、牛馬・人力車が三厘、馬車が五厘などとなっていました。明治12年に亀戸村と西小松川村により木造の逆井橋が架橋されると、渡しは交通機関としての役割りを終え、廃止されました。
平成25年12月 江東区教育委員会

逆井の渡し跡説明

逆井の渡し跡碑