かつてこの場所には、路面電車が走るための 「竪川専用橋」 が水神森~大島間の開通に合わせ、大正10年1月より架設されていた。当初の運営は大正2年10月に設立された城東電気軌道㈱で、昭和17年2月に東京市営、同18年7月に都営となった。ところが、昭和20年の大空襲により甚大な被害を受けた。しかし復興に努め、昭和24年には区内全域が開通した。
 「チンチン電車」 と呼ばれて親しまれ、便利だった都電も昭和30年代の高度経済成長政策の頃から、自動車交通の急激な発達により道路が渋滞し、輸送力低下による赤字決算の連続となった。その結果、昭和47年、区内全線が廃止された。そして、昭和50年、この橋は歩行者専用橋として改修され 「竪川人道橋」 と呼ばれるようになり、同54年、橋の南北の軌道敷は緑道公園に生まれ変わった。
 以来、この橋は平成7年の景観整備工事にて都電をモチーフに修景され、地域の歴史を伝えるモニュメンタルな橋として地域に親しまれてきたが、老朽化が進んできたこともあり、竪川河川敷公園の大規模改修に合わせ一体整備されることとなり、平成23年に橋は撤去され、現在の姿となっている。
 なお、モニュメントのレールの一部は 「25系統」 の亀戸九丁目で使われていたものを再使用しており、車輪は当時の写真等を参考にオブジェとしてデザインされたものである。
令和2年 江東区土木部

平成7年当時の竪川人道橋

竪川専用橋と竪川人道橋の歴史

歩道に埋められたレールのオブジェ

当時の都電車輪

当時の都電の様子