ここに架かっていた撞木橋は万治2年(1659)当時の本所奉行徳山五兵衛、山崎四郎左衛門両名によって墨田区江東橋一丁目より、同緑四丁目の大横川に架けられました。
 最初は長さ10間、横2間の木製でしたが、その後、幾度となく架け替えられ、昭和5年7月には、鋼橋(トラス)になりました。
 この橋は、大横川親水河川整備事業により、その役目を終えて昭和62年10月に撤去されました。
 なお、ここは竪川・大横川の交差辻なので、北辻橋、南辻橋、新辻橋などが架けられましたが、北辻橋西側の大横川河岸に 「本所時之鐘」 の鐘楼堂があったことから、これらの橋は俗称として 「撞木橋」 と呼ばれてきました。その後、北辻橋が撞木橋を正式に名称とするようになったものと思われます。
平成11年2月

 大横川の左岸には鐘を撞く鐘楼がありました。
 江戸時代、時を知らせる手段は鐘を撞くこと以外にはありませんでした。そのため、江戸城で打ち出された太鼓の音(のちに日本橋本石町の鐘楼の鐘)を、周辺の鐘楼が鐘の音に換えて打ち出し、順次この鐘の音を引き継いで江戸の隅々へと時を知らせていきました。
 従って、江戸城と周辺の町内では、少し時間にずれが生じるのが普通でした。
 また、当時は不定時法を採用していたことから、季節に応じて時間の長さが変化しました。従って夜明けは常に明け六ツ(六時)、日没は常に暮れ六ツ(六時)だったのです。
 日本橋本石町の鐘の音は、ここ本所の鐘楼に伝えられました。鐘楼の近くには時鐘屋敷(緑四丁目十番・二十一番の境)があり、町会で選ばれた撞き番の人が待機していたそうです。
平成19年3月 墨田区教育委員会

時の鐘跡説明

時の鐘のモニュメント

撞木橋の由来プレート