水戸~江戸間、29里19町(約116㎞)を結ぶ街道は、五街道に次ぐ重要な幹線道路で江戸街道または水戸街道と呼ばれた。その起点は江戸日本橋、水戸はこの地点で、宿駅は19ヶ所、行程は通常2泊3日であった。この地には広場が設けられて高札が立ち、備前堀に架けられた橋は、ここで共に別れを惜しんだので銷魂橋(たまげはし)と呼ばれていた。

 江戸時代に城下の出入口に当ったこの橋は、はじめ七軒町橋と言われて、たもとの広場に高札が立てられていた。徳川光圀は水戸を去る人々が、この橋で別れを惜しんだので、元禄3年(1690)名を銷魂(たまげ)橋と改め、三宝荒神(のち竈神社という)を赤沼から移して樹木を植え、水茶屋などを置いた。笠原水道はこの備前掘を橋と並べて銅桶で渡した。

備前堀周辺案内板

備前堀上流域

銷魂橋(たまげはし)

備前堀下流域

江戸街道起点碑

銷魂橋高札場跡碑