平成14年7月、台風の影響により残念ながら、一里塚のシンボルである榎木が倒木しました。当時の榎木は、推定樹齢400年、高さ約20m、幹周り約4.2mの大木でした。
 平成20年3月、一里塚裾野付近に育っていた苗木を移植しました。二代目の榎木として将来、初代と同じ様な大木に成長することを願います。
 また、県指定史跡「石岡の一里塚」は、地元の子供会の協力により除草清掃を行っています。大切な文化財を将来の子供達へ残していきましょう。
  (平成21年9月 石岡市教育委員会)







西塚から東塚を望む

二代目榎木

東塚から西塚を望む

 一里塚は、主要街道の一里(約4㎞)ごとに設けられた一種の路程標である。慶長9年(1604)、江戸幕府が江戸日本橋を起点として、東海・東山・北陸の三道の両側に築いた塚を指したのが始まりといわれる。この塚に植えられた榎の木蔭が、行路者の休息の場となったことも少なくなかった。
 その後、時代の経過にともない荒廃し、改修の熱意がない地方では、原形を失うものが多く、天明年間には、その大半が失われたといわれる。明治以後まで残ったものでも、その後、道路の拡張などによって失われたものが多く、今日では、両側に残っているものは少なく、特に榎が残っているものは全国的にもめずらしい。
 石岡の一里塚は、旧水戸街道の府中(石岡)から長岡に通ずる街道の両側に残るもので、特に東側の塚の上に植えられた榎が、今も樹勢よく天に向かって伸びている。
 この一里塚は築造当時をしのばせ、江戸時代の交通政策を知る上で重要な史跡である。
    (昭和60年1月 石岡市教育委員会)

石岡の一里塚

西塚(左側)

東塚(右側)