家老渋江監物好直の墓

勇壮之碑

府中藩3代目家老渋江監物の墓

御用人格松浦小平次の墓

銃隊60人隊長曽我金次郎の墓

谷田部松軒先生の墓

清凉寺
 清凉寺の墓地には、石岡の歴史に寄与した人々が眠っている。渋江監物藤原好教は、府中藩主初代松平頼隆・2代松平頼如に仕えた初代の家老である。墓の碑文によると、監物好教の父は、初め徳川光圀に仕えたが、後に光圀の命により松平頼隆に仕えたとある。そのほか府中藩長沼領の郡奉行、府中藩代官、会津兵討伐隊長など多くの墓があり、特に有名なのは漫画家・手塚治氏の先祖・府中藩医手塚良運の墓である。
 また、寺紋として、佐竹氏の家紋である「月丸扇」が見られ、清凉寺が佐竹氏と深い関わりがあったことを示す。

◇大掾氏との関わり
 元徳2年(1330)第14代平高幹(入道浄永)が尼寺ヶ原に真言宗として建立したが、文亀元年(1501)曹洞宗に改宗した。

◇エピソード~佐竹氏
 天正18年(1590)豊臣秀吉から常陸と下野を佐竹氏の領地として朱印状により公認されたことから、いよいよ江戸氏・大掾氏などの討伐を始める。江戸氏の水戸城を攻め落とし、その余勢をかって府中城を攻撃したのである。その戦火の中、清凉寺や不動院など多くの神社仏閣などが府中城とともに焼失した。
 その後、佐竹義宣の叔父南義尚が府中城主となり、清凉寺を菩提寺として再建した。
  (石岡市教育委員会)

手塚治氏の先祖・府中藩医手塚良運の墓

子育地蔵菩薩坐像

月丸扇紋の付いた清凉寺由緒碑

清凉寺解説

六地蔵尊

清凉寺本堂

本堂に掛かる清凉寺の扁額

府中藩長沼領19代目郡奉行の墓

府中藩長沼領12代目郡奉行の墓