文久2年(1862)墨僊の七回忌に門弟によって建てられた退筆塚
本社改修記念碑
石燈籠
石燈籠
沼尻墨僊(1775~1856)が琴平神社境内に塾「時習斎」を開いたのは江戸時代後期、享和3年(1803)のことである。
墨僊は号で、名を一貞、常治と称した。田宿町で薬種製造を営む中村治助の第九子として誕生し、生後間もなく町医沼尻石牛の養子となった。長じて塾を開き、近隣の子らの教育にあたった。
墨僊は太田天錫(土浦藩主)らに師事し、叔父沼尻修平(陸其章)に筆法を学んだ。漢詩・書道・絵画をよくし、天文学や地理学に明るく、「地球万国図説」(市指定文化財)を著し、安政2年(1855)には傘式地球儀の名で知られる「大輿地球儀」(市指定文化財)を制作・出版している。
のちに「天章堂」と改名した塾では、読み書きだけでなく、墨僊の広範な知識をもとに素読など高度な教育が行われた。安政3年に墨僊が亡くなるまで入門する子弟は絶えず、塾生は延べ600人を超えた。
墨僊の没後、塾は子墨潭(就道)が継ぎ、明治4年(1871)まで続いた。
(土浦市教育委員会)
拝殿に掛かる天狗の扁額
沼尻墨僊の寺子屋跡解説
琴平神社拝殿
吽形の狛犬
阿形の狛犬
拝殿に掛かる琴平大神の扁額