金剛界大日如来解説

寛延元年(1748)などの石祠

持国天 (東方守護神)

増長天 (南方守護神)

多聞天 (北方守護神)

鐘楼

阿弥陀堂に掛かる阿弥陀堂の扁額

阿弥陀堂内陣

大師堂の弘法大師像

阿弥陀堂

弘法大師堂に掛かる大師堂の扁額

薬師寺本堂

本堂に掛かる瑠璃殿の扁額

弘法大師堂

寛文8年(1668)の金剛界大日如来像

鹿島神社鳥居

広目天 (西方守護神)

手水舎

山門

ねがい橋

 当山の参道は150m余りで、その沿道左側には古来の杉並木(昔は100本程度で現在は数本)があり、それらは見事に緑色の葉を茂らせ、直立した幹は40mに及び、褐色の美しい縦縞の樹皮を見せている。
 この参道の杉は、当山が神仏混淆であったため、境内が鎮守の森を兼ねていたことに由来する。
 一方、古より榊は代表的な神木とされてきたが、榊以外の樹木を神木として祀る神社もあり、京都伏見の稲荷神社では、稲荷山の杉を験(しるし)の形と呼び、参拝者が杉の枝を採り、これを身体の一部に付けて参詣することが広く行われており、この様子は、平安時代後期の永久4年(1116)に編纂された「永久四年百首」に、以下のように詠まれている。
   いなり山 しるしの杉を 尋ね来て あまねく人の かざす今日かな                                (牛久市教育委員会) 

 寛永期の石仏胎蔵界大日如来は、常総の地に多数造像され、時念仏として盛行したが、寛永8年(1681)をもって造像が絶えている。
 それから約30年後の寛文期に、第二次の大日如来造像が再開されたが、金剛界大日如来に信仰の中心が移っている。
 市内最古の寛文期石仏金剛界大日如来がこの像で、寛文8年(1668)の造立。
 元は近くの大日塚に祀られて、後に現地に移されたと思われる。
 像の左側には、「奉造立一基時念仏二世成弁処」と刻されている。
  (牛久市教育委員会)

参道口

参道杉並木

参道杉並木解説

鹿島神社拝殿

拝殿に掛かる鹿島神社の扁額