成井一里塚解説

 一里塚は、主要な街道に一里(約4㎞)ごとに築かれた塚である。
 1604(慶長9)年、徳川幕府により江戸の日本橋を起点とし、全国的に主な街道には一里塚が築かれた。これは、里程や人馬賃銭の目安を目的とし、徳川家康が徳川秀忠に命じ、大久保長安統括下で整備したとされる。
 由良国繁を城主と記す「牛久城絵図」にも、成井の一里塚は描かれており、右に記すように徳川幕府によって築造されたものと思われる。
 江戸時代の水戸街道は、我孫子から布佐へ廻り、布川に渡って、現龍ヶ崎市の須藤掘、紅葉内、若柴を経て成井に達しており、成井の一里塚は江戸日本橋からは15番目、水戸街道の起点である千住からは13番目にあたる。
 (牛久市教育委員会) 

成井一里塚碑