往時平貞盛がこの社の前を通りかかると馬がこの石を見て動かなくなり、石の傍らを見ると祠があり、これは日頃信仰する星宮大明神であった。これは神様のお引き合わせと懇ろに参詣すると馬は歩き出したという。
駒止の石
金比羅大権現
拝殿内の星宮神社本殿
拝殿に掛かる星宮神社の扁額
星宮神社拝殿
長五郎は、当地富士の下出身の力士。幕末期の江戸大相撲で活躍。本名は山崎安好で文化11年(1815)生まれ。安政6年(1859)前頭筆頭に昇進。上位陣に強く大物食いの長五郎と言われた。同年8月巡業先の奥州一ノ関で病没(44歳)。星宮神社には長五郎が奉納した燈籠2基がある。死を前に「牛久沼越に富士山の見える場所に墓を作ってくれ」と遺言を残した。文久3年(1863)地元有志により富士の下の牛久沼が見える場所に墓が建てられた。
金刀比羅宮鳥居
この社の御祭神、天御中主大神は天地開闢の時に、高天原に最初に現われ天の真中に座しまし、神徳遍く宇宙主宰無始無終、全知全能の造物主であらせられます。
天の真中とは、北斗七星(北極星)と考えられ、星宮神社の名の所以であります。古老の伝えるところによりますと、延長2年(924)正月13日肥後ノ国八代郡八代の神社から分霊勧請して祀ったものであると云うことであります。
明治2年4月星宮大明神を星宮神社と改称
明治42年7月八坂神社を合祀
昭和27年7月宗教法人星宮神社を設立
土浦城主常陸大掾平貞盛は、この神の信仰篤く縷々参詣なされ、天慶4年(941)4月13日には社殿拝殿を建立寄進されたと伝えられています。
現在の社殿は、江戸時代に全氏子に依り再建、平成元年に全氏子によって社殿は修復され、拝殿は改築されたものであります。
慶應2年(1868)建立の高野維直の孝養碑
山茶花や ちる程つづの 花ざかり
涼しさや 草をなびかす 笛の声
人声に 奥なき山や 花ざかり
享和元年(1801)7月6日没の乱竿は、当地野口弥五右衛門(仲宿)の俳号。
一力長五郎解説
台石に「一力」と刻まれている
嘉永5年(1852)の常夜燈
天保12年(1841)の鳥居柱
乱竿坊(らんかんぼう)魚筌(ぎょせん)句碑
青面金剛の庚申塔
星宮神社由緒
星宮神社鳥居
宝暦12年(1762)の手水石