一面六臂の青面金剛の庚申塔・安永4年(1775)の鹿島大神宮・文政13年(1830)の金比羅大権現・明治3年(1870)の熊野大神

元文2年(1737)の一面六臂の青面金剛の庚申塔・明和3年(1768)の道祖神

寛政10年(1798)の白山大権現・地蔵菩薩・天保2年(1830)の疱瘡神・不明な石祠

三峰神社覆屋

三峰神社本殿

宝暦11年(1761)の不動明王像・道祖神石祠・子育地蔵菩

弘法堂の弘法大師像

手水舎

弘法堂

拝殿に掛かる八坂大神の扁額

拝殿内の八坂神社本殿

八坂神社拝殿

鳥居

鳥居に掛かる八坂神社の扁額

八坂神社由緒

 社伝によれば、天正2年(1574)6月に郡内に悪病が蔓延し村民が疫病に罹った折、領主の岡見縫殿之助頼房が民衆の疫苦を憐れみ、山城国愛宕郡の八坂神社に平癒を祈ったところ、果たして霊験があった。故に当地に社殿を新設し、同社の御分霊を遷祀したと伝えれている。
 八坂神社は須佐之男命を祭神とする神社であるが、元の祭神は祇園精舎の守護神である牛頭天王であったことから、江戸時代までは牛頭天王宮と呼ばれてきた。