庚申塔・石祠

寛政10年(1798)の庚申塔

元文5年(1740)の一面六臂の青面金剛の庚申塔

三峰神社・安政2年・宝暦4年の石祠

 寺伝によると、天慶年間(938-47)に平貞盛が父国春の菩提を弔い、自領の民心を安定させるために、川原代に安楽寺を、小通の川岸に観音堂を建立したのが小通幸谷の十一面観世音の始まりとされている。
 天正の初め(1753~)、若柴の金龍寺の開祖である由良国繁は、岡見一族の供養のために七観音八薬師を建立した。小通幸谷の十一面観世音は七観音の一つで、由良の家老和田民部が奉行となり、観音堂は清水山慈眼院観音寺と改められた。当地の十一面観世音が眼病に霊験があると信じられ、当時は境内も広く寺領も一町歩あり、遠近の参詣者や参観者が多かったと伝えれている。
 江戸時代は真言宗で、土浦市大岩田の法泉寺の末寺であり、享保2年(1717)俊栄の代に観音堂が再興されている。
 明治初年の神仏分離令に際し無檀無禄寺院として廃寺となったが、同8年(1875)村中の総意により、七観音八薬師の由緒をもって、若柴の金龍寺の末寺として再興され、曹洞宗に改められ現在に至っている。
 本尊十一面観世音は、恵心阿闍梨の作とされているが、詳細は不明である。
 (龍ヶ崎市教育委員会)

観音堂

十一面観音解説

観音堂に掛かる扁額

弘法堂

弘法堂の弘法大師像

石祠