江戸時代、宿場の中で身分の高い武家が宿泊や休息した家を本陣と呼び、土地の有力者の家が命じられた。
 江戸時代の初めに江戸と水戸を結ぶ水戸街道が整備され、取手は利根川の渡船場に隣接する重要な宿場として発展した。取手の名主でもあった染野家は、享保4年(1687)に第二代水戸藩主徳川光圀から本陣を命じられたと伝えられており、以降江戸時代の終焉まで水戸徳川家の本陣を務めた。水戸徳川家と染野家の深い結びつきを伺える資料が、史跡指定地内に残される第九代水戸藩主徳川斉昭の歌碑のほか、今も数多く残されている。
【主屋】
 現在の主屋は、寛政7年(1795)の建築で、寄棟入母屋造、桁行約20.0m、梁間約13.9m、約312㎡の建物である。これは、水戸街道で現存する本陣建築では最古・最大のものである。建物の中央から西側には、式台玄関や書院造の上段の間など本陣として身分の高い武士を迎えるしつらえがしてある。一方、土間などを有する建物の東側は、染野家の人々が日常生活を送った住宅となっている。また、明治初期の一時期、五等郵便取扱役(現在の郵便局長)を務めており、式台玄関の脇には馬蹄形の小さな窓口を有する当時の郵便窓口が残っている。この窓口も近代郵便制度の明治創業期の姿を現在に伝える貴重な文化財である。平成4年から8年にかけて半解体修理を実施した。
【土蔵】
 主屋とほぼ同時期の18世紀末から19世紀初めの建築、桁行9.1m、梁間4.5m、約41㎡の土蔵造りで、一部二階建ての造りとなっている。昭和62年から平成元年にかけて解体修理を実施した。
【表門】
 桟瓦葺の一間薬医門。染野家に残されている記録より、建築は文化2年(1805)と推定される。主屋や土蔵の解体修理に伴い解体、平成8年に復元された。
  (取手市教育委員会)







旧取手宿本陣染野家住宅解説

染野家住宅表門

旧取手宿本陣染野家住宅(掲示写真より)