真言宗豊山派宝珠山普門院薬師寺と号す。創建は寛永9年(1632)、開山は賢明法師と伝えられる。常陸国水戸在の根本村の佐右衛門が、先祖伝来の不動明王を背負い、諸国遍歴の途次、この地に錫を止め賢明と共に一寺を建て、不動明王を本尊として不動院を開き、仏道に精進した。のち、当地にあった薬師如来を安置する仏堂を付属堂とし、近隣に同名の寺院あるともって薬師寺と改称した。
元禄元年(1688)9月8日没の助左衛門の位牌を代々供養しているが、この裏面に田畠9反3畝を寄付したことを誌してある。この田畠が寺の維持に寄与すること大きなものがあった。
薬師堂の薬師如来は眼病に効験あり、水戸光圀江戸参府の折、眼の痛みを治したと伝えている。堂の正面上部の「医王堂」の扁額は千住の接骨院、名倉氏初代の書である。また、堂内には絵馬が多数ある。
弘法大師霊場荒川辺八十八ヶ所霊場第52番、荒綾八十八ヶ所霊場第19番、弘法大師二十一ヶ所霊場第15番の札所である。
また、境内から出土した文正2年(1467)銘阿弥陀三尊板碑を保存している。(足立区教育委員会)
金時地蔵尊
青面金剛の庚申塔
如意輪観音の一千万遍供養塔
種子庚申塔
薬師堂に掛かる名倉氏初代の書である医王堂の扁額
薬師堂
寛文5年(1665)の六地蔵尊
本堂に掛かる薬師寺の扁額
薬師寺本堂
手水舎
山門
薬師寺由緒
山門に掛かる宝珠山の扁額