江戸時代、柏市域の一部は小金牧といわれた幕府直轄の馬の放養地、供給地であり、当時の水戸街道はこの牧の中を通過していました。その情景は下の 「水戸浦道道中絵図」
から探ることができます。
牧の中を水戸街道が画面東西に走りぬけ、その街道沿いには松並木と思われる樹木、周辺の野原には野馬の群れる姿が見られます。牧のはずれには木戸 (「柏木戸」、「新木戸」)
が置かれ、その周辺には野馬土手が築かれている様子がわかります。
水戸街道は、水戸藩士の通行や人々の物資の輸送などに使われた重要な道でした。そのため牧と村の出入り口には木戸を作り、人々の往来を確保し、無宿者や浪人者などにも対処するための関所の役目も果たしていました。明治時代になって地租改正が行われ土地に番地がつくようになると、柏木戸のあったところが柏一番地となりました。
現在、木戸は残されていませんが、水戸街道の 「新木戸」 や 「成田街道」 (現在の県道我孫子・関宿線)といわれた 「花野井木戸」 「船戸木戸」
などが今でもバスの停留所の名称として使われています。
鳥居に掛かる柏神社の扁額
手水舎
神楽殿
成田山石塔・宝永4年(1707)の青面金剛の庚申塔ほか
風化の進んだ常夜燈
江戸街道の木戸解説
安産祈願の民間信仰の神・待道大神宮社
柏神社拝殿
拝殿に下がる注連縄