当神社主神の鎮座地である柏市富里町は、昭和42年(1967)に改名された町名であって、かつては柏市豊四季の一部であった。
 この豊四季の地は、明治維新政府の殖産事業として、もと徳川幕府の上総牧場であった小金牧と佐倉牧を、明治初年明治政府が東京府に命じて、初富・二和・三咲・豊四季・五香・六実・八街・九美上・十倉・十余一・十余二・十余三とつづいて開墾をされ、この小金牧の内なる四番目の豊四季の一部であり各地から、武士をはじめ次男・三男や世の変革によって職を失った多くの人々が入植、移り住んで集落が形成された。やがて松並木の旧水戸街道(旧六号国道)沿いに地域の人々のよりどころとして、天照皇大御神を御祭神として現在の地冨里二丁目に神明神社を創建、朝に夕べに御神徳を仰いで家業に励み、明治、大正、昭和、平成と百有余年の長い月日を祖先相承け相伝えて今日に至った。
 現在は柏市の冨里一丁目・同二丁目・同三丁目・東町・中央・若葉町・緑ヶ丘・豊町東・豊町西・新富町・南柏・吉野沢・豊平町・近隣町会等の共同鎮守として、また近隣地域の人々の篤い崇敬を集めて今日に至っている。









神明鳥居

手水舎

神明神社拝殿

拝殿に掛かる神明神社の扁額

神明神社由緒