ここに組まれた石組は、江戸・明治時代から桁橋のお水戸橋を支えてきた橋台を受け継いだものです。この構造は、皇居(旧江戸城)内濠に架かる木造橋である平川橋に名残を見ることができます。
水戸橋が本格的な橋として架橋された年は定かではありませんが、江戸初期の寛永年間(1624-44)と考えられています。
水戸橋が架かる綾瀬川の開削については、「西方村旧記付図」(越谷市図書館蔵)に、寛永年間に内匠橋付近(足立区)から小菅(葛飾区)を経て、隅田川合流地点まで堀替えた記録があります。
地元に伝わる話によりますと、その昔、水戸黄門(光圀)一行が旅の途中、小菅村に出没する妖怪を退治しました。その妖怪は、親をならず者に殺され、敵を討とうとした狸でした。子狸が退治されそうになった時、近くのお地蔵さまが身代わりとなりました。その事実を知った光圀は、後の世まで平穏となるようにと自ら筆をとり、傍らの橋の親柱に「水戸橋」と書き記したと伝わっています。
また、水戸橋下流の正覚寺には、身代わりとなったといわれているお地蔵様が安置してあり、お堂前の水舎には元禄10年(1697)の銘があります。
水戸橋解説
水戸橋橋台の遺構
かつての水戸橋
迂回路
綾瀬川