坂川は江戸時代に開削された人工河川であるが、「四十八渓の澗水をあつむ」と言われ、下総の豊かな湧水を多くの支流から集め、「下谷三町歩」と称された水田を潤し、用排水幹線をして重要な役割を果たしてきました。
この坂川は古記録によれば「逆川」と書かれ、出水時には洪水と江戸川からの逆流によって水害が甚だしく、沿岸農民は数世紀にわたって苦難の歴史を繰返してきた。
今日の坂川の基本形は、享保8年(1723)代官小宮山杢之進によってほぼ完成されました。その後も坂川の治水事業は鮨ヶ埼(現流山市)の名主、渡辺庄左衛門父祖三代の情熱と不屈の努力によって永々と続けられ、最下流部の柳原樋門までの工事が完了したのは、天保7年(」836)のことです。先人の血と汗によって造られた坂川はまた、水上交通としての役割も果たし、昭和初期まで米・油・野菜などの生活物資が川舟で運ばれていたとのことです。
松戸神社二の鳥居脇にある坂川解説
街道を横切る坂川
坂川の歴史碑に刻まれた松戸宿の絵図