中川の歴史
 中川は、埼玉県および東京都を流れ東京湾に注ぐ一級河川であり、利根川水系の支流です。起点は埼玉県羽生市街地にあり、起点を示す石標が設置されています。
 江戸時代初期までは利根川や荒川の本流でしたが、利根川の東遷事業などで本線が変わり、隅田川と利根川の間を流れる川で「中川」と呼ばれるようになりました。
 江戸時代の中川には橋が一つもなく、当時の中川橋周辺には、旧水戸街道の亀有村と対岸の新宿町を結ぶ「新宿の渡し場」がありました。近くには「柴又の帝釈天」があることなどから、参拝客や街道を往来する人で大変賑わっていたようです。

タブの木の経緯
 中川橋東橋詰めにあったタブの木は、昔から街道を往来する人々の「道しるべ」であったと伝えられており、地元住民から長く親しまれてきました。
 しかし、平成4年(1992)から始まった中川橋架替え事業に伴い行った樹木調査の結果、移植が不可能な状況であったため、やむなく伐採されることとなりました。
 現在植えられているタブの木は、伐採に先立って穂を採取し、育てた苗木です。また、「旧中川橋の名残」として、苗木の他、以前のタブの木の一部で制作したモニュメント、及び旧中川橋両岸の親柱を設置しております。

旧中川橋の親柱

中川上流域

旧中川橋の親柱と国旗掲揚場

中川橋詰のタブの木

中川橋橋詰のタブの木解説

古木から育てた苗木