馬頭観音、如意輪観音、地蔵尊

卵塔

地蔵石幢、地蔵菩薩坐像

 本多正盛、実は内藤正盛の三男、後に本多忠信の養子となり安藤対馬守重信の女を娶る。正盛は元和2年(1616)の東照宮造営に際し副奉行の職にあり、同僚の山城宮内と争論する。ために山城宮内は日光山で自害し、正盛も造営工事完成の後、妻の妹が嫁している松平成重の板橋城下に到り自刃して41歳の生涯を閉ず。
 時に元和3年4月22日、遺骸は福生寺に葬る。文化13年(1816)安藤対馬守信義碑を建つ。
(日光市教育委員会)

福生寺本堂

本堂に掛かる福生寺の扁額

福生寺本堂

本多正盛の墓説明

慰霊碑

本多正盛の墓

参道口の安政4年(1858)の石燈籠

左面に漢文が刻まれている