上材木町の氏神である坂田稲荷神社は、豊受姫神を祭神としている。由緒は不明だが、天文年間(1532-54)創建との伝承がある。「鹿沼市史前編」 には、社伝によると 「鹿沼城主の崇敬厚く、毎年の大祭には有司(役人)を社参せしめて厳に祭典を執行させた。」 とあり、戦国期の鹿沼城との関連を指摘している。
 社には、寛永6年(1709)に卜部兼敬から授けられた 「正一位稲荷大明神」 の宗源宣旨がある。この文章中には社の所在地が 「鹿沼町坂田山」 とあり、18世紀頃の社殿は坂田山にあったもので坂田山の山頂(拳骨山)には現在奥社がある。旧石鳥居(平成11年撤去)に文化2年(1805)の銘があったことや、文化3年(1806)に描かれた 「日光道中壬生通分限延絵図」 に当社が現在地に 「イナリ」 と記されていることから、19世紀初頭には現在地に社殿が建立されていたことがわかる。
 本殿は流造、羽目には唐子が遊ぶ姿を描いた彫刻が、水引虹梁には龍の彫刻が施されているが、建築年代および彫師は不明である。拝殿は昭和43年に建築されたもので、ほかに境内に天保5年(1834)に久保町の大芦屋勇助が奉納した石燈籠をはじめ、大正5年(1916)の献桜記念碑などの石造物がある。
 祭日は旧暦の初午で、この日には町内外から篠竹に 「正一位稲荷大明神」 と書いた5色の旗と、藁苞(わらずと)に赤飯やしもつかれを入れて吊るしたものを奉納する人で賑わう。
(上材木町自治会)

天保5年(1834)の石燈籠(右)をはじめとした奉納石燈籠

坂田稲荷神社説明

大正5年(1916)の献桜記念碑

坂田稲荷神社拝殿

手水舎

坂田稲荷神社本殿

段上に建つ二の鳥居の石鳥居

鳥居に掛かる坂田稲荷神社の扁額

大正14年(1925)の一の鳥居の石鳥居