摩利支天古墳は、隣接する琵琶塚古墳とともに県内で最大の規模を誇る大型の前方後円墳です。後円部の墳頂には後年になって摩利支天社が祀られ、今に至っています。 墳丘は自然の微高地を利用して築かれたもので、その周囲には幅20mを越える大規模な周湟(しゅうこう)がめぐらされています。この周湟は調査の結果、部分的に二重になっていることがわかりました。
また墳丘上には、円筒埴輪が列を成して存在していました。これらの埴輪や古墳の形状などから、この古墳の築造年代は、5世紀末から6世紀初頭と推定されます。このような巨大な古墳の被葬者は、大和王権による支配体制の中で、下毛野国をはじめて統括した大首長であったとも考えられています。
墳 形 前方後円墳 全長約117m
前方部 幅約75m 高さ約7m
後円部 直径約70m 高さ約10m
(栃木県教育委員会)
摩利支天社本殿
前方部上に建つ文化2年(1805)の石鳥居
前方部に上がる摩利支天社参道石段
後円部から東方を望む
後円部に上がる摩利支天社参道石段
後円部に建つ摩利支天社
史跡摩利支天古墳説明
手水舎