栃木県に現存する唯一の三人遣い人形浄瑠璃です。江戸時代、奈佐原は日光西街道・例幣使街道の宿場町として栄え、この文楽は、、上方からの文化の影響を受けて始められたようです。詳しい記録は火災で消失してしまいましたが、現存する引幕などから文化年間(1804-18)には一座があったとみられています。
その後、一時中断していましたが、明治25年に大阪文楽座の人形遣いの名人吉田国造によって再興されました。上演の日時と場所は一定していませんが、「絵本太功記 十段目」「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段」「壺坂霊験記 沢市内より山の段」
をお家芸としています。
また、文楽に使用される人形頭のうち、20頭が昭和33年8月29日に県の有形文化財に指定されています。これらは現在、奈佐原文楽座・奈佐原文楽保存会の人々の手によって保存伝承されています。
(鹿沼市教育委員会)
左から明36年(1903)の八十四番と刻まれた弘法大師石祠、明治36年・明治39年?の十九夜塔
奈佐原文楽説明
収蔵庫奥の石造物
奈佐原文楽用具収蔵庫