社務所
神輿庫
推定樹齢400年の夫婦杉
天保13年(1843)の勝善神
八坂神社石祠
境内社
寛文2年(1662)建造と伝えられる三間社流造で、建物全体が弁柄塗となっている。屋根は建造当初は檜皮葺だったものが、後に柿葺になったり、さらに昭和25年に現在の銅板葺になった。
基礎は布石で、身舎軸部は丸柱に土台を置き、頭貫には木鼻をつけ、三間とも板唐戸で、跳高欄つきの縁を三方にめぐらしている。斗栱は三斗組和様、中備えは板蟇股、妻は虹梁に大瓶束の構えで、破風の流れが軽妙である。
軸部、軒回り、破風、海老虹梁、懸魚、木鼻などの木部がよく残り、全体的に建造時代の形状を今日までよく伝えている。
(栃木県教育委員会・鹿沼市教育委員会)
県指定文化財建造物磯山神社本殿碑
磯山神社本殿説明
磯山神社本殿
磯山神社拝殿
拝殿に掛かる磯山神社の扁額
手水舎
古井戸
参道脇の常夜燈
社伝に993年前一条天皇の永延2年9月高野下野藤原権介の創立にて當山明神と称し、磯亀和田赤塚七ツ石羽生田の鎮守神であった。後館の堀烏丸大納言郷の祈願所と伝えられる。永禄10年12月壬生城主壬生彦次郎藤原氏勝鰐口奉納。徳川将軍代々の崇敬の社にて慶安元年3代将軍家光公より高7石一斗余の朱印を附せられから代々の将軍より同待遇を受け神主金子氏別当円徳寺を以って本社に奉仕させた。
享保元年11月15日神位守源宣旨正一位を授けられた。
明治5年第一区八小区の郷社に列格後行政区割の改正によって村社となった。明治41年1月17日女体神社西の割山の神明宮浅間神社合祀。大正7年9月11日幣帛神饌料供進指定。昭和25年木羽葺であった本殿屋根を銅板に葺き替えた。
林の中の参道
参道中程の石段
磯山神社一の鳥居
磯山神社由緒碑
磯山神社の扁額が掛かる二の鳥居