明治維新後、自由民権運動が盛んになり本県では県南を中心に運動が起こり、その一翼をになったのが下稲葉の鯉沼九八郎でした。
 明治17年(1884)、栃木県庁が栃木市から宇都宮市に移され開庁式が行われることになり、九八郎を中心とする急進的な民権論者たちは、この機に県令三島通庸をはじめ政府要人の暗殺を計画し、騒乱を起こそうとしました。しかし、失敗し自分自身も爆裂弾の暴発により左腕を失いました。また、この事件は 「加波山事件」 の引き金になりました。
 これにより、九八郎は投獄されますが、明治26年(1893)出獄し、その後県会議員となり 「加波山将軍」 とも称され県議会で活躍しました。
 九八郎は大正13年(1924)73歳をもって波乱の一生を終えました。
(壬生町教育委員会)

鯉沼九八郎説明

鯉沼九八郎翁碑