昭和10年(1935)・明治16年(1883)などの十九夜塔、地蔵菩薩立像、供養塔

紫雲山壬生寺創立碑

安永3年(1774)・宝暦6年(1756)・天保14年(1844)などの如意輪観音の十九夜塔

 此の井戸は、今から一千二百年の慈覚大師(壬生円仁)誕生の時この水を産湯に使った霊水であります。爾来今日まで、御本尊を始め諸天善神に献ずる霊水として大切に守られて来ました。
 古来から、この水を飲むと子供が安産で生まれ、乳の出ない人は出るようになる等々、健康増進、諸病平癒に不思議な力があると言われ、尊ばれて居ります。
(壬生寺)

円仁産湯の井戸

慈覚大師御産湯井標柱

推定樹齢350年のイチョウ

栃木県指定天然記念物 「壬生寺のイチョウ」

土屋文明の歌碑

慈覚大師御開帳扉過ぎし壬生寺に灰冷えびえと大火鉢二つ

 大師堂は、天台宗の基礎を築いた平安時代の高僧・慈覚大師を祀っています。
 このお堂は、貞享3年(1686)日光山輪王寺の願いにより壬生城主三浦壱岐守直次によって建立されました。現在、建立時の棟札が当寺に保管されています。
 屋根は入母屋造りの桟瓦葺で、内部の格天井には菊花紋が色違いに描かれています。また寸法は正面三間、側面二間、向拝一間となっています。
 大師堂は彫刻類の飾りは一切なく簡素ですが、格調の高い建物であるとともに、江戸中期に建造された町内に残る唯一の建造物です。
(壬生町教育委員会)

御堂に掛かる大師金剛の扁額

大師堂説明

慈覚大師堂

鐘楼

本堂に掛かる慈覚大師御詠歌の扁額

壬生寺本堂

 壬生寺は、慈覚大師円仁の御生誕地(794年)として信仰されて来ました。大師堂は、江戸時代貞享3年(1686)日光山輪王寺門跡天真親王が壬生城主三浦壱岐守に命じ再興し、側に小山市飯塚の台林寺を移し別当とした。その後、大正2年(1913)大師千五十年御遠忌に、壬生町信徒が慈覚大師報恩会を組織し、町民協力し東京上野寛永寺内の天台宗学問所(旧勧学寮)を移築して本堂とする。
 大正5年新たに壬生寺を創立し現在に至る。尚、境内には慈覚大師産湯の井戸がある。本堂には大師が唐より持ち帰り植えた樹齢千年の白檀の木で作られた大師像が安置されている。
(壬生町観光協会)

松平氏信仰の六地蔵尊が祀られている

地蔵堂に掛かる地蔵尊の扁額

慈覚大師御誕生地碑

壬生寺山門

山門に掛かる紫雲山の扁額

地蔵堂

元禄7年(1694)壬生城主松平右京椋亮輝貞によって建立

手水舎

壬生寺由来