① 常楽寺の創建―室町時代1462年
最初の壬生城主 「壬生胤業公」 (?-1500頃)は当時の高僧 「一州正伊和尚」 (1416-87)をお招きして、壬生氏の菩提寺として常楽寺を建立致しました。
② 壬生町と常楽寺の興隆―江戸時代1712年
壬生の城主となった 「鳥居忠英公」 (1665-1716)は常楽寺を菩提寺と定め墓所を設けました。忠英公は壬生の殖産にも学問にも力を入れ壬生藩を発展させました。その頃、黒川を使って江戸と交易していた加藤家の
「二代目加藤作太夫氏」 (1721-1807)が寄進した大きな 「涅槃図」 (1751寄進)に当時の城下町壬生の豊かさが伝わっています。
③ 常楽寺の本堂再建と蘭学の導入―幕末1850年
幕末の藩主 「鳥居忠拳公」 (1815-57)は先見の明をもって壬生藩に蘭学や砲術などの西洋の技術を導入しました。蘭学医の斎藤玄昌(1809-72)は人体解剖(1840)や天然痘の予防接種(1850)など大きく活躍します。ちょうどその頃、今に伝わる常楽寺の本堂が再建(1850)されました。
向陽山常楽寺は禅宗 「曹洞宗」 の寺院です。壬生城主壬生家・鳥居家の菩提寺であり、御殿医斎藤玄昌氏や高杉晋作との試合に名を残す壬生藩剣術師範松本五郎兵衛氏の墓所等が境内に所在します。壬生城に隣接し古の風情を今にとどめ、また鳥居家の文書類など多くの歴史資料を護持しています。
(壬生町観光協会)
当寺は、室町中期寛正3年(1462)壬生初代城主壬生筑後守胤業公が、寺領26石を寄進して創建した曹洞宗の寺院です。開山和尚は、道元禅師から数えて10世の法孫一州正伊禅師であり、壬生氏一門の氏寺として栄えました。1590年に壬生氏が絶えて後も、壬生氏の家臣や歴代の壬生城主に庇護され、1712年に壬生城主となった鳥居忠英公の帰依を受けて後は、鳥居家の菩提寺として篤く護持されてまいりました。
現在の本堂は、1820年に火災に見舞われて後、1850年に再建されたもので、内部に欅材の多く使われた荘厳な伽藍です。長い歴史のある寺院に相応しく、「鳥居忠英公」
の肖像画や文書類の歴史的資料、壬生家歴代の墓地や鳥居家墓地、壬生藩の蘭学亥「斎藤玄昌」 一門の墓地等の史跡、境内鎮護の三日月尊天と壬生の豪商加藤藤作太夫の逸話など、様々な事物が今に伝わっております。また、1738年、20世光海本瑞和尚の時、京の陶工尾形乾山が来寺して作歌作陶致しました。これは京都壬生氏出身の具慶尼の庵を訪ねての事で、一か月半程度滞在致しました。
(壬生町観光協会)
常楽寺説明版
常楽寺説明板
ふくろ鳴く壬生のうら山時雨きて みのきるむれの立ち騒ぐ見ゆ
六地蔵尊
本堂に掛かる向陽山の扁額
常楽寺参道
参道に建つ普賢白象
常楽寺山門
鳥獣魚供養塔
尾形光琳の弟・尾形乾山の歌碑
護国塚
御堂に掛かる三日月尊天の扁額
本堂と一体化した御堂
鐘楼
卵塔ほか如意輪観音などが刻まれた供養塔
常楽寺本堂