興光寺は、応永年間、大場良納上人によって福和田に開かれ、三代将軍のご尊骸安置のため本陣松本家の隠居所であった現在地に、旧増上寺を模して建立されました。慶安4年(1651)、三代将軍 「徳川家光」 が亡くなり、四代将軍 「徳川家綱」 によってご尊骸を日光山に納めるとき、当山に安置され通夜が勤められました。これによって徳川幕府より 「葵」 の御紋が贈られ、寺宝のひとつとなっています。
(壬生町観光協会)

 浄土宗深渡山照泉院と号する。
本尊は、阿弥陀如来立像。応永年間(1394-1428)徳蓮社良納上人開山、開基は栄覚大和尚、壬生三ヶ寺の一つ。徳川三代将軍の頃、福和田村より本陣松本家(崇雲院)の隠居所であった大手門外北の現在地に移った。
 慶安4年(1651)徳川大猷院殿の御尊骸日光山へ入御の砌、当寺で通夜が勤められ、この時幕府より 「葵」 の紋が贈られ、三代将軍家光公ご位牌を安置す。子育呑龍上人像を尊置。
 文政年間の有名な代官谷郡太夫君雄幕末の狩野派画人壬生藩の家老高須甘堂、本陣で名主の松本甘曉師弟の墓、戊辰戦争安塚の闘いで、戦死した政府軍の官修墓地がある。
(壬生町観光協会)

興光寺門柱

興光寺山門

山門に掲げられた三葉葵紋

興光寺説明

徳川家光の位牌

大猷院殿贈正一位大相国公尊儀

本堂に掛かる呑龍上人の扁額

興光寺本堂

興光寺の由来