この壬生蘭学通りは、栃木県土木部と東京電力㈱並びに東日本電信電話㈱さらに沿線住民の皆様の理解のもと、通学路の歩道の整備と商店街の活性化を目的に電線類地中化工事が計画され、平成6年から平成14年にかけて総延長780mの工事が完了しました。
 壬生町は古くから城下町として栄え、社寺や医者が多いと言われ、特にこの整備された通りには、明治初期の地図や文献を見ると、神戸察」 「渡辺元良」 「匂坂玄皐」 「斎藤玄昌」 「石崎鼎吾」 「五十嵐順知」 「渡辺百」 「若井武一郎」 の名前が確認でき、幕末から維新にかけて開業医たちが活躍していたため蘭学通りと呼ばれています。
 平成14年11月に、蘭学通りを会場として沿線4つの商店会が核となり 「壬生蘭学通りまちづくり実行委員会」 を組織し、地域住民や若年層に参加を求め、地域交流と活性化を目標に 「みぶ蘭学通りまつり」 が開催されました。
 平成17年度、社団法人栃木県経済同友会からこの取り組みが、知恵と工夫による魅力あるまちづくりとして継続されていることが認められ 「美しいまち賞」 を受章いたしました。
 ここにその記念として顕彰碑を建立するものであります。

石崎家説明板

 壬生町の町中休憩所で壬生町の観光パンフレットやイベント情報などが入手できる。自成館の名は、壬生藩の江戸藩邸にあった藩校 「自成堂」 に因んで付けられたという。

 石崎家は、代々壬生藩医として仕えてきました。当時の建物は、嘉永6年(1853)の伊勢屋火事により土蔵を除いて焼失し、母屋・長屋門は、万延元年(1860)に建て直しました。歴代当主は、この屋敷から城内に通い、非番の際は自宅で患者を診察したり専用の駕籠で往診に出たりしました。四代石崎正達は解剖図 「解体正図」 の著者として有名です。
(壬生町観光協会)

長屋門奥の石崎家母屋

町指定有形文化財の石崎家長屋

長屋門前に設置された 「美しいまち賞」 碑

石崎家向かいの自成館