吾妻古墳石室玄門石

吾妻古墳石室部材説明

縦270㎝、横190㎝、厚さ50㎝
 吾妻古墳は、壬生町大字藤井に所在する国指定の前方後円墳です。平成19年から発掘調査が行われ、石室は全長8.4mの横穴式石室であることが確認されました。
 石室は死者を葬る 「玄室」 と副葬品を置く 「前室」 とに分かれ 「玄門石」 のみが凝灰岩で、他の部材は硬質の自然石が使われていました。また、石室の内部は赤彩が施されていあたことも確認されました。 「玄門石」 は、壬生藩主鳥居忠宝公により上稲葉の赤御堂の地に運ばれましたが、昭和63年3月、地元関係者、大場武氏及び川俣純一氏の協力を得て城址公園内の地に移設されました。
(」壬生町教育委員会)

壬生城大手門の礎石

 この石は、壬生城大手門を支えた柱の礎石で、全部で5基(移設したものは3基)が存在しています。令和2年に初めて大手門の礎石と確認されました。 石を保管していた町内、小林家・植竹家に伝わる話と、寸法や形状などから、この石を壬生城大手門の礎石と考えました。ここに移設した礎石は3基とも縦・横・高さ80㎝の大きさで、石の三面には上部から面取りが施されています。 他の2基は精忠神社唐門前にあり、寸法や形状が同じところから大手門の礎石であると考えられています。なお、柱を差し込むための納穴の大きさから、門の中央にある主柱と考えられます。
 これほど大きな礎石が必要な建物を考えると、足利銀行壬生支店周辺にあった大手門のほかには考えられません。元禄5年(1692)壬生城主となった松平輝貞は、壬生城大手口の大改修で、平屋の大手門を二階建ての櫓門に建て替えました。 この大手口の姿は 「壬生領史略」 (嘉永3年)に挿絵とともに、「雪の止んだ朝、日光を反射する大手門の姿は格別の眺めだ」 と大手門の雄姿が描かれています。 この挿絵から、大手門を支える柱は、前面6本、側面2本であり、この前面の6本の柱の礎石がここで紹介している石であり、あと1基の礎石があったはずですが、その行方はわかっておりません。
(壬生町教育委員会)

壬生領傍示杭

従是北壬生領 ・ 従是南壬生領

壬生城二の丸表門

本丸を囲む堀