壬生城は、戦国時代の壬生氏の築城に始まり、明治維新まで存続しました。戦国時代の壬生城の姿については、詳細は不明ですが、発掘調査で壬生城址公園内から当時の堀跡や陶磁器類が出土しています。
江戸時代になると、壬生城は将軍家の日光社参の際の宿城として整備されました。元禄年間(1688-1704)に、城主松平輝貞公により東郭が整備され櫓門と丸馬出を備えた大手門が建設されました。
現在の地に 「櫓台」 を築く願いが壬生藩から幕府に提出され、7間四方(約12m)の規模にするよう計画されました。しかし、櫓が建設された記録も、また櫓が描かれた絵図面もないことから、実際に櫓の建設までには至らなかったようです。
この 「櫓台」 跡は、位置は当時のままですが、規模が縮小しているとともに高さが約2mほど低くなっています。
(壬生町教育委員会)
住宅街の中の櫓台跡
壬生城東郭 「櫓台跡」 説明