お堂に安置されているお地蔵様は、縄解地蔵と呼ばれ日本三体地蔵尊の一つといわれている。言い伝えによれば、正歴年間(990-994)京都壬生寺を開山した快賢僧都が、霊夢を感じ、一本の木で三体の地蔵尊を仏師定朝に彫刻させた。その三体とは、①延命地蔵尊・・京都市中京区坊域仏光寺入る壬生寺、②縄目地蔵尊・・三重県名張市(旧伊賀国名張郡壬生村)、③縄解地蔵尊・・栃木県壬生町
当初は、三体とも京都壬生寺に安置されていたが、壬生に初めて城を築いた小槻彦五郎胤業が下野国に下向する際、夢枕にお地蔵様が立ち、「我は縄解地蔵という。縄解とは、人の生をこの世にうけ、母胎より生ずる時、へその緒を安々ときり赤子を出産させることをいう。出産の後、罪を犯し縄目の辱めを受けるとも前非を悔い改め、我を信心すれば、たちどころに罪障消滅して仏界(成仏という結果)を得せしむるものなり。汝もし我を伴いて壬生に到り、小槻を改め壬生氏を名乗らば開運疑いなし」
とお告げがあった。信心深い胤業は、この夢に従って縄解地蔵尊を奉じて下野国壬生にやって来た。以後壬生氏を名乗るようになり、厚く信仰した。
名称である 「縄解」 から、無実の罪をはらしてくれると古来より庶民の信仰をうけ、子授、安産、子育、開運、免罪、特に子供の守護仏として霊験あらたかなりと近郷近在の信仰を集めている。(以下略)
日本三体縄解地蔵尊由来碑
地蔵菩薩立像
縄解地蔵尊参道
日本三體縄解地蔵尊標柱
御堂裏の卵塔
御堂に掛かる縄解地蔵尊の扁額
御堂裏の供養塔・庚申塔
手水舎
縄解地蔵尊堂
寛政3年(1791)の千日供養塔