地蔵堂

 油懸山地蔵院西岸寺と号する浄土宗の寺で、天正18年(1590)雲海上人によって創建された。
 地蔵堂には、俗に油懸地蔵と呼ばれる石仏の地蔵尊が安置されている。寺伝によれば、昔、山崎(乙訓郡)の油商人が門前で転び、この地蔵尊にこぼした油の残りを灌いで供養し行商にでたところ、商売が大いに栄えたといわれ、以後、この地蔵尊に油をかけて祈願すれば願いが叶うとして、人々の信仰を集めている。
 境内には、「我衣にふしみの桃のしづくせよ 芭蕉」と自然石に刻まれた句碑がある。これは、貞享2年(1685)、当寺の第三世住職任口(宝誉)上人を訪ねた芭蕉が、上人の高徳を当時の伏見の名物であった桃に事寄せて、その徳に浴したいと願って詠じたもので、碑は文化2年(1805)に建設された。
 なお、地蔵堂は、明治維新の鳥羽伏見の戦いで類焼したため、明治27年(1894)に一度再建された。現在の地蔵堂は、その後、昭和53年(1978)に再び建立されたものである。

中央に真っ黒な油懸地蔵尊(石造地蔵尊)が安置されている

文化2年(1805)建立の芭蕉句碑

我衣に ふしみの桃の しづくせよ

西岸寺(油懸地蔵)解説

西岸寺本堂

本堂に掛かる油懸山の扁額