地蔵菩薩など供養塔
伏見義挙殉難士之墓地碑
薩摩義士碑
円通山と号する真言宗単立の寺で、空海(弘法大師)の開基と伝えられる。もとは長福寺といい、豊臣秀吉が深くこの寺を信奉したのを初め、武家の信仰も篤かったとされる。
江戸時代はじめ、この近くに薩摩藩(現在の鹿児島県)邸が置かれ、薩摩藩主・島津家の守り本尊「出世大黒天」と同じ大黒天が当寺に祀られていたことから、1615年に薩摩藩の祈願所と定められ、大黒天を本尊として、寺名も大黒寺と改められた。通称「薩摩寺」とも呼ばれた。
本尊・秘仏大黒天は、金張の厨子に安置された小さな像で、60年に一度、甲子の年に開帳される。
幕末に西郷隆盛や大久保利通などが国事を論じたという一室があるほか、明治維新の志士の遺霊等を所蔵する。
境内には、西郷隆盛が建てたという、有馬新七ら寺田屋事件で犠牲となった九烈士の墓碑をはじめ、伏見義民の文殊九助、木曽川治水工事の犠牲となった薩摩藩家老・平田靱負の墓、また、「金運清水」と命名された井戸がある。
伏見義民(天明伏見義民、伏見義民一揆)の遺髪が納められている。
薩摩藩家老・平田靱負の顕彰碑
金運清水
大黒寺解説
不動明王と手水石
山門
大黒寺本堂
本堂に掛かる円通の扁額