寿碑 (墨染寺由来碑)

日蓮上人像

南無妙法蓮華経題目碑

西村慶珠翁頌之塔

山号を深草山と号する日蓮宗の寺院である。
 もとは清和天皇の貞観16年(874)に建立された貞観寺の旧蹟で、その後次第に衰微していったが、天正年間(16世紀後半)、増長院日秀上人が豊臣秀吉公の知遇を得、また秀吉公の姉瑞龍尼公の篤い帰依を受けた事により、此の地を日蓮宗の寺として再興することを許され、墨染桜寺として再興させた。
 境内には、墨染の地名の由来となった墨染桜が植えられている。この桜の由来は平安時代まで遡り、時の太政大臣藤原昭宣公が葬られた際、その死を嘆き悲しんだ歌人上野峯雄が「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」と詠んだところ、当地に咲いていた桜が喪に服するかのように薄墨に咲いたと云われる。この墨染桜によって、当寺は地域の人々から「桜寺」と通称で親しまれている。見頃は4月中旬前後。
 本堂の本尊勧請形式は「一塔両尊四士」。また、本堂横の鬼子母神堂には、伝教大師御作と伝わる安産成就・子育成就の子安愛敬鬼子母神像が安置されており、地域の人々をはじめ広く信仰を集めている。

山門

本堂に掛かる桜寺の扁額

墨染寺本堂

墨染寺由緒

本堂に掛かる鬼子母神の扁額

地名の由来となった墨染桜