当社は、宇治郡を本拠とした氏族宮道氏の祖神日本武尊、その子稚武王を祭神として、寛平10年(898)に創祀された。宮道大明神・二所大明神とも称されている。
平安時代初期、宇治郡司宮道弥益は、醍醐天皇の生母藤原胤子の祖父で、その邸を寺としたのが勧修寺であると伝える。
後世、宮道弥益・列子をはじめ、藤原高藤(胤子父)・定方・胤子等勧修寺ゆかりの人々を合祀、近辺にその遺跡もあり、醍醐天皇をめぐる人々の華やかな物語や、古代山科発展の歴史を今に伝える古社である。
高藤の後裔は、勧修寺流藤原氏として朝廷で枢要な地位を占め、また宮道氏は、武家・寺家蛭川氏としてともに繁栄、活躍した。
本殿は明治23年に再建されたものであるが、この度、この由緒ある神社が後世永く栄えんことを願い、本殿覆屋・拝殿の修復と境内の整備を行ったものである。
名にい負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな
清みましし 御祖のことも 偲ばれん 永久に鎮まる 宮道の社
三条右大臣歌碑
勧修寺門跡筑波常遍歌碑
由緒碑
手水舎
宮道神社鳥居・拝殿
拝殿内の宮道神社本殿