観音堂の観世音菩薩

弘法大師像

大斐閣と呼ばれる観音堂

ヒノキ科の植物で、樹齢は750年と云われ、一面一本の樹で京都市の巨樹名木の一つである。

主幹は昔落雷により二分されたと伝えられ、樹齢350年といわれる。

氷室池を中心とした庭園

八十八ヶ所霊石巡りの一つ

本堂に掛かる勝福院の扁額

宸殿に掛かる明正殿の扁額

元禄10年(1697)明正天皇から下賜された宸殿

 真言宗山階派の大本山で、平安中期の900年に醍醐天皇の母・藤原胤子を弔うために、胤子の母の実家である宮道家邸宅を寺に改めたのが始まりといわれる。
 天皇の祖父に当たる藤原高藤の諡号(しごう)をとって勧修寺と名付けられ、のちに醍醐天皇の勅願寺となった。
 代々法親王が入寺する門跡寺院として栄えたが、文明2年(1470)に兵火で焼失し、江戸時代に徳川家と皇室の援助により再興された。本堂は、霊元天皇より仮内侍所を、書院(重要文化財)と宸殿は、明正天皇より宮殿を賜って造られたといわれ、本堂内部に本尊・千手観音像を祀っている。
 書院前の庭にある大きな傘を持つ燈籠は、水戸黄門で知られる水戸光圀の寄進と伝えられ、「勧修寺型燈籠」と呼ばれている。その周りには推定樹齢約700年と伝えられるハイビャクシンが植えられている。
 氷室池を中心とした優美な池泉回遊式の庭園は、平安時代の作風と伝えられ、夏の睡蓮や蓮で有名である。

高麗門の中門

勧修寺由緒

山門

参道の長い塀

玄関

山桃の老木

勧修寺本堂

書院

水戸光圀寄進の 「勧修寺型燈籠」

ハイビャクシン