服部半蔵(1542-96)は、本名を正成といい、徳川家康の三河以来の旧臣で、家康16将の一人に数えられる武将である。
「鬼の半蔵」 として知られ、元亀3年(1572)三方ヶ原の戦い、天正18年(1590)小田原攻めで功をあげ知行8000石を賜り、同年の家康の江戸入府後は、江戸城西門近くに居を構え、城の警備等にあたった。半蔵門の名は彼の名に由来する。
半蔵は、天正7年(1579)家康の長男信康が切腹する際介錯役を命じられた。しかし、これを果たせず、晩年、信康の菩提を弔うため麹町清水谷に庵を建て、西念と号し、仏門に帰依した。
文禄2年(1593)には家康から寺院を建立するよう内命をうけたが、慶長元年(1596)11月、55歳で没した。
西念寺は、半蔵の没後完成し、寛永11年(1634)江戸城の外堀拡張・新設の際現在地に移転したものである。
(新宿区教育委員会)
専称山西念寺
服部半蔵の墓
服部半蔵の墓説明