日野宿は、甲州道中45宿のうち江戸から数えて10番目の宿場です。宿場には、日野本郷の名主と日野宿問屋役人を兼帯し世襲する、2軒の佐藤家の屋敷がありました。正徳6年(1716)以降、西側の佐藤隼人家(通称「上佐藤」)は本陣を、東側の佐藤彦右衛門家(通称「下佐藤」)は脇本陣を務めました。本陣は、公家・大名・旗本や幕府役人専用の宿所であり、脇本陣は本陣の補助的な役割をもっていました。なお、この脇本陣は19世紀初頭以降、本陣と同様の機能を担っています。
 本陣建坪117坪、脇本陣建坪112坪であったといい、甲州道中で本陣・脇本陣などの2軒ともに100坪を超える例は、犬目宿(山梨県)と日野宿だけであったとされます。
 嘉永2年(1849)の大火により本陣・脇本陣等は焼失し、現在の脇本陣の建物は、元治元年(1864)に完成しました。北面中央に式台玄関を備え、屋根は瓦葺であり、一般的な名主屋敷と異なり、脇本陣としての格式を備えた建物です。
 また、本屋敷は新選組とも深いかかわりがあり、幕末の歴史の舞台ともなりました。
 東京都内には、江戸時代に五街道を中心に10余りの宿場が設置されていましたが、敷地と屋敷が現存しているのはこの脇本陣のみです。
 (東京都教育委員会)

脇本陣室内

脇本陣室内

日野宿脇本陣跡説明