当山は往古田原藤太秀郷公の館跡といわれ、その後市川山見性寺(宗派不明)が建立されと伝えられている。しかし後に足利尊氏公将軍となるやこの寺を改めて、安国利生の祈願所として、龍門山高安護国禅寺を再建した。これは尊氏が全国(66ヶ国2島)に建立した安国寺の一つで、武蔵国のそれが当山である。
当時は鎌倉建長寺末の臨済宗で、開山は大徹心悟禅師であった。時に暦応年間と伝えられる。その昔は大伽藍で塔頭十院末寺も75院あり、寺領も広く東は代田村、西は貝坂、南は向山、北は山口に及んだという
。
その後兵乱の間しばしば将軍家の陣所となり、小田原北条氏の庇護も受けたが、暦年の兵戦を経て衰えて大刹の姿も失っていった。時に慶長年間青梅の海禅寺第7世関州徳光禅師が、当山を再興し、済派を改めて曹洞宗となり今日に至る。開基足利尊氏公の発願である安国利生の祈願所として、毎朝朝課前に、大般若経転読の祈祷を行っている。
本尊釈迦牟尼如来(文殊、普賢の三尊仏)
みどころ
1,弁慶硯の井
見性寺と呼ばれた頃の事。義経は兄頼朝の怒りにふれ腰越まで来たが、鎌倉入りは許されなかった。やむなく京都へ帰る途中、暫く見性寺に足止めし、弁慶等と叔免祈願のため大般若経を写したという。その時裏山から清水を汲み取ったので弁慶硯の井 の遺構がある。
2.秀郷稲荷
田原藤太秀郷公を当山鎮守として裏山に祀る。
水子地蔵尊
高安寺由緒
境内社の稲荷大明神(秀郷稲荷)
三界萬霊塔・観音菩薩像
さいしょの代官 高林吉利の墓
時の鐘
高安寺本堂
弁慶硯の井戸
龍門山の扁額が掛かる仁王門