この橋を、和田倉橋といいます。ここには、かつて江戸城の守衛のために築かれた内郭門の一つ和田倉門がありました。橋を渡った皇居外苑側には枡形石垣があり、橋と一体で門を構成していました。
慶長7年(1602)頃といわれる 「別本慶長江戸図」 には橋が描かれ、「蔵の御門と云、士衆通行の橋」 と記述があります。また、「御府内備考」
には、橋の由来が 「慶長12年の頃の図に、ここに和田蔵と称せし大なる御蔵2棟を図せり。是御門の名の起る処なり。(後略)」 と記され、蔵があったため門が名付けられたとしています。なお、徳川家康が江戸に入った時、この辺は和田倉という村落であったという説もあります。
和田倉門には、鉄砲十挺・弓五張・長柄槍十筋・持筒二挺・持弓一組が常備されています。警護は、譜代大名で二万石から三万石の者が担当していました。
この橋は、昔そのままに復興されたものですが、江戸城の門と橋を偲ぶのにふさわしい景観をみせています。
(千代田区教育委員会)
和田倉橋説明
桜田門方向
左側が馬場先
和田倉橋
東京駅