日蓮上人座像の説明
本像は、日蓮宗寺院に共通にみられる祖師説法像です。木造、寄木造。像高31㎝。彩色は享保16年(1731)に補彩されたものです。
台座天板裏には、天文19年(1550)に 「本能坊日載」 が父母の供養のために造像した旨の墨書銘があります。都内で確認された日蓮聖人座像としては、正応元年(1288)制作の大田区池上本門寺所有像(国指定重要文化財)、明応6年(1497)制作の中央区身延別院所有像(都指定有形文化財)に次ぐもので、室町時代に遡る祖師像として貴重なものです。
(調布市教育委員会)
当山蓮慶寺は、日蓮宗大本山池上本門寺の直末で、山号を惺誉山という。開山は池上本門寺第12世佛乗院日惺聖人(遷化慶長3年7月6日、1598年)。開基は小田原北条12将の1人、布田の領主中将出羽守(下総鴻之台合戦死天正元年1573年)その法号を正天院日誉という。
開山と開基の法号にちなみ惺誉山とする。過去帳史料によると、もと真言宗閻魔寺を中将出羽守が永禄年中改宗し草創と伝える。今開山惺聖人筆慶長3年の御曼荼羅本尊を寺宝としている。
江戸時代に入り、徳川三代家光将軍家より、慶安4年、御朱印地が下賜され、以後歴代将軍家の菩提を回向する御朱印寺として、赤門設立と、住職の乗駕が許されてきた。今歴代将軍葵紋付き位牌と香炉を現存し、法灯現住職第49代を経てきた。
草創以来3世紀の間、当山檀信徒の護寺丹精は、永く伝統を継承してきたが、歴史の風雪は本堂、山門を老朽化させた。ために今日の当山檀信徒は、異体同心、結願して昭和42年本堂の大改修を完成させ、更に宗祖第700年遠忌の報恩事業として、赤門復興の浄願を発起して全檀信徒による勧募浄財によって昭和54年4月15日祥当第700年を前にして完成をみた。
復興とはいえ伝統と檀信徒先祖の威霊を宿す四脚門の旧赤門を取り毀すにあたり、惜別の情迫るものがあり、ここに冠木門部分のみを保存し、後世への遺産とした。
宗祖第700年遠忌事業委員会
蓮慶寺由緒
旧本堂の鬼瓦
蓮慶寺山門
山門の葵の御紋
惺誉山の扁額が掛かる蓮慶寺本堂