今から80数年程前のこと、大麻生村(元熊谷市)の庭師、新井久五郎氏(没年不詳)は、毎年、お盆前に当山にやって来て、数日間泊まり込んで庭の手入れをする習わしであった。そんな或る晩、夢まぼろしともつかぬお地蔵様が現れて、「私を正直地蔵尊として祀ってくれるならば世の為、人の為に尽くすであろう。場所は当山墓地(現戸主高橋安雄氏)の片隅に居るから是非拾い上げて欲しい」
と言うのであった。夜の明けるのを待ちかねて、教えられた所へ行ってみると昨晩のお告げ通り、小さなお地蔵様が人待ち顔で半身土に埋もれていた。
びっくり仰天した久五郎氏は、早速寺に戻り、禅達和尚に、昨夜からの始終を話した。和尚は「何とも思いはかることの出来ないこと」と直ちに本堂にお祭りし、近隣の寺院方を拝請し、ねんごろなる供養をして、その名を正直地蔵尊と呼ぶことにした。
明治5年(1872)の馬頭大士と馬頭尊
開山心月祖珊和尚大禅師碑
宝篋印塔
有縁無縁供養塔
六地蔵尊
六地蔵尊
永明寺山門
正直地蔵尊の由来
正直地蔵尊
地蔵堂
鐘楼
永明寺本堂