天照大神・倉敷魂命・少彦名命・大巳貴命

御神木の大ケヤキ

阿夫利神社

天満宮

 ここ元阿保の地は、中世の丹党安保氏の本貫地とされる。丹党の秩父恒房の次子実光は元阿保に住み安保氏をとなえ、以後在所名を姓とした。安保氏は鎌倉期から室町期、さらに戦国期までつながっていく。字上宿には、安保氏館跡と伝える地があり、周囲は掘に囲まれた300m四方の部分と考えられている。館跡のすぐ北西には当社が鎮座、南西側には安保泰規が室町初期に建立したと伝える大恩寺跡が隣接する。
 当社はその立地から丹党安保氏により鎌倉期以降に祀られたことが推測されるが、『武乾記』 (根岸伊兵衛 安永元年1772) に載る由緒は更に古い。六所明神は延喜式内の社なり。村老の伝に大古、阿保人上武蔵介の建立せし所なり。其後安保次郎實光、当国府中六所明神を移し合祀せしと云。社名は今城青坂稲実明神なりと言伝はるを記す。古社なるべし。」 と記されている。
 丹党と丹生社の関わりは、字関口の池上神社の 「明細帳」 に 「往古元阿保村と一村たりしとき六所社 丹生社同村にありしを天正5年(1577)3月分村の時、丹生社を本村の鎮守に分かち定め今の地に遷し祀る」 とある。安保氏在住のころは丹党の人々の結束として元阿保で祀られていた。言い伝えでは、六所社の奥であったと言う。
 当社は享保12年(1727)、神祇管領から 「正一位六所大明神」 の神宣を受けた。風土記稿に六所明神社と載っているが、明治40年から字内の神社を境内に遷し、明治43年に阿保神社と改称した。

吽形の狛犬

阿保神社の両部鳥居

阿形の狛犬

阿保神社拝殿

石祠群

享保12年(1727)の正一位六所大明神

六所大明神と石祠

阿保神社由緒

拝殿内に掛かる阿保神社の扁額

阿保神社本殿覆屋