安保氏は、武蔵七党の一つ丹党に属す北武蔵の豪族で、鎌倉幕府の有力御家人「安保次郎実光」 を祖とする。その所領については、「安保文書」 に詳しく、賀美郡安保郷(大字元阿保周辺)を本貫地としていたようである。
 この館跡は、安保氏総領家の居住地として伝えられ、嘉永元年(1848)には、「安保氏遺蹟之碑」 が建てられている。
 館跡とされる範囲は、研究者により異なるが、十二天堀とそこから分流した深町堀、中堀、端堀に囲まれた部分と考えられる。また、館の南西部は、大恩寺(安保泰規建立)跡と伝えている。館周辺にも関連した伝承が残り、馬場、馬出しとされる場所がある。
 なお、昭和63年と平成4年の発掘調査では、北面の外堀と内堀の一部、建物跡、井戸跡等が検出されている。
   神川町教育委員会

嘉永元年(1848)の安保氏遺蹟碑

稲荷社石祠

安保氏館跡解説