当家の先祖が江戸時代宅地内に井戸を掘ったところ、この塔が出土したものと言い伝えられている。偶々県道工事にあたり当町教育員会によって発掘するも、ついにその残欠を発見することが出来ず、残欠のまま粗堂を建立してお祭りし、子々孫々に伝えて当町の歴史の一頁にでも留められるよう願ふものである。
尚この塔造立の意義について花園村史62頁に掲載されている宝篋印塔とは、宝筐印陀羅尼経の中に説かれてある咒(まじない)で、この咒を読経すれば地獄に落ちる者も極楽に生まれ変わるとか、又病者は寿命を延長し、貧しい人々は無量の福徳を得ると言われている。此の塔の造立は1359年、延文3年戊戌2月28日岩松敬白と記されている。当字の寿楽院もこの岩松の開基と言われている。
左記の系譜は岩松出生の地尾島町教育員会の新田族譜県文書館岩松文書等の資料に依って記したものである。
御堂に安置された2基の宝篋印塔
宝篋印塔由来碑
庚申塔
御堂に掛かる寶寿院の扁額
御堂